きち19歳 安政6年撮影(?)お吉さんのことを意識しはじめたのは、菩提寺といわれる宝福寺を訪ねた折り、記念館に大きく掲げられた肖像写真を見た時だ。
「きち19歳」という説明書きのついた写真の少女は何処か淋しげに見えたが、後から思えばそれはあらかじめ唐人お吉の悲劇的な運命を知っていたからだろう。
皮肉にも、真実のお吉物語を調べてみようと思ったのも、この写真が大きなきっかけのひとつだった。何故なら、この写真に興味を抱き、素人ながら調べただけで、実はこの写真が「唐人お吉」こと「斎藤きち」その人ではないことが、いともあっさりと判明してしまったから。下田観光を通じて“お吉ファン”になった自分にとって、何か裏切られたような大きなショックだった。
肥田 実 著作集 幕末開港の町 下田下田開国博物館相談役で下田郷土史研究会理事の肥田 実氏は、1990年6月発刊「下田帖21号」に発表した文章の中で、お吉の写真について解説している。
そこで取り上げられている写真は全部で5点。真っ先に取り上げていたのが、菩提寺に飾られている「19歳のお吉」の写真だ。
「このうち一番多く見かけるのは19歳のお吉の説明のついた若い女性の写真だろう」…と書いていることから、今から23年前には、すでにこの「19歳のお吉」写真は世に出回っていたことになる。
菩提寺・宝福寺のホームページによれば、この写真は「安政6年撮影」され、「横浜で下岡蓮杖(下田出身の写真家の祖)により写真を学んだ水野半兵衛が所持していたものを、本人の好意によって当山お吉記念館に御寄付」されたとある。
一方、同寺のリーフレットでは撮影された年は「安政5年」となっており、「撮影者:水野半兵衛氏 出品者:水野重四郎氏」と記述されている。撮影年も異なるうえ、水野半兵衛は所持していただけでなく撮影したことになっていて、出品者は別にいる。
このリーフレットは今現在配布されているもので、同じ寺のホームページの説明と異なることから、いずれにしても正確さに欠けていると言わざるを得ない。
さて、郷土史家・肥田氏の解説によれば、この「19歳のお吉」写真が偽物である確証は、まず撮影された年にあるという。そこで肥田氏の説明を裏付けるべく調べてみた。
下岡蓮杖の写真館跡(横浜・馬車道) 下岡蓮杖が横浜に写真館を開いたのが文久2(1862)年であることは、一度ネットを叩けば、すぐ様わかる。
さらに細かく調べてみると、この写真が撮影されたとされる安政6(1859)年、蓮杖は写真館どころか、まだカメラさえ入手していない。師匠がカメラを持っていないのに、その弟子が撮影できるはずがないのは明白だ。
また、仮に蓮杖がカメラを入手し、写真館を開いた直後にこの写真が撮影されたとしたら、天保12(1841)年生まれのお吉は、撮影時には19歳ではなく21歳(数えで22歳)でなければ計算が合わない。歴史的にみて、どう考えてみても19歳のお吉写真を日本人が撮影できるはずがないのだ。
あるいはこの写真の撮影者は異人かもしれない。…そう、確かに異人だった。そして、調べを進めていくと、撮影者の氏名も写真が使われた目的も判明した。
幕末・明治のおもしろ写真下郷土史家、肥田 実氏の著作集「幕末開港の町 下田」は、今でも下田開国博物館の売店で購入することができる。
同じ売店には、石黒敬章=著「幕末・明治のおもしろ写真」(1996年初版/平凡社コロナブックス刊)という写真集も販売されていて、その本の104ページには、あの「19歳のお吉」写真が「ファサリ商会発売の美人芸者の写真。唐人お吉と間違われた写真でもある。」という説明がつきで掲載されている。
説明にあるファサリ商会とは、アドルフォ・ファルサーリ注というイタリア人が明治時代に横浜で開いていた写真スタジオで、日本に来た外国人のみやげ用に日本の風景や風俗の写真を贅沢な漆塗りのアルバムに収め、写真集として販売していた。それらは、白黒写真に手で彩色を施され「横浜写真」と呼ばれて人気を博した。
※注=資料によって「ファサリ」と表記したり「ファルサーリ」と表記されている場合がある。
幕末・明治のおもしろ写真104P とくに、この少女の写真は人気が高かったらしく、さまざまな写真集に繰り返し登場し「幕末・明治のおもしろ写真」の著者、石黒敬章氏の手元だけでも「3枚ある」という。
同じ頃、横浜にいたであろう下岡蓮杖とその弟子、水野半兵衛が、人気写真の研究のためにこの写真を「所持していた」としても何ら不思議はないが「撮影した」と言えば、嘘になってしまう。むろん、蓮杖やその弟子が嘘をついたとは思えない。
石黒敬章=著「幕末・明治のおもしろ写真」には、問題の写真がファサリ商会から売られていたことは明記されていたものの、撮影者についての説明はなかった。
経営者のファルサーリはカメラマン出身とも言われていて、奇しくも今年(2013)2月には、イタリア文化会館で写真展も開かれた。
ただ、彼が外国人相手に「横浜写真」を売りまくった写真館は、もともとは東アジアの写真を撮影した初期の写真家として知られるイギリス人、フェリーチェ・ベアトが、1861年に開設したもので、その後、明治10(1877)年にベアトに写真術を手ほどきを受けた弟子のオーストリア人、ライムント・フォン・シュティルフリート注に引き継がれた写真館。注=スチルフリートと表記されることもある。
ファルサーリはその写真館を、ベアトやシュティルフリートが撮影した写真の原版ごと、明治18(1885)年に買収してファサリ商会を立ち上げている。したがって、ファサリ商会が販売していた写真=ファルサーリが撮影した写真とは言い難い面があるのだ。
ファサリ商会の商標(看板) 横浜開港資料館=編「彩色アルバム 明治の日本〈横浜写真〉の世界」の解説には「経緯からみて、ファサリは実業家であり、写真家ではないであろう。」という一文と共に、ファサリ商会の商標(看板)の写真が掲載されている。
それは風景、風俗の写真、合わせて12点を織り交ぜたもので、一番目立つ場所に「19歳のお吉」といわれている写真が配されているのがわかる。
ファサリ商会について、さらに海外のサイトまで調べを進めていくと、「19歳のお吉」と言われている写真がファサリ商会では「士官の娘(Officer's Daughter)」というタイトルで売られていたことが判明した。
はたして、このモデルが、芸者なのか、それとも士官の娘なのかは、はっきりとしないが、この時代に写真を撮ってもらえるのは、人気芸者か身分の高い者であることに間違いはないだろう。
右がファサリ商会のオリジナルまた、ファサリ商会の「横浜写真」は、その彩色の美しさで評判が高かったらしいが、宝福寺に飾られている写真をはじめ、よく目にする「19歳のお吉」写真を、ファサリ商会の「士官の娘」と比較すると、カスレかけたモノクロ写真になっており、かんざしなどの装飾も、わざと削除されていることに気づく。
ここまでくると、残念ながらこれはもう、この写真を何とかして悲劇のヒロイン「唐人お吉」に仕立てようと何者かが作り上げた“ねつ造”品であると考えざるを得ない。
今から23年前にこの写真が出回っていたとすれば、最初に登場したのは25年くらい前のことか…。その頃、下田は伊豆急行開業25周年を迎え、一大観光キャンペーンの真っ直中ではなかったか?
あるいは、もっと前だとしたら、32年さかのぼって1981(昭和56)年には、特急「あまぎ」と急行「伊豆」が統一され「踊り子」号が誕生している。「伊豆の踊子」と「唐人お吉」は伊豆の二枚看板だ。「踊り子」号のインパクトに負けないよう、「お吉」にも新しい何かが必要になったのではないか?※注
この観光がらみの“19歳のお吉写真 ねつ造疑惑”は、あくまでも推察であり「19才のお吉」と同様、確固たる根拠のある話ではない。ただ、少々意地悪なようではあるが「19才のお吉」のように簡単に否定できる話でもないように思える。
いずれにしても、この写真を「19才のお吉」としてデビューさせた関係者は、まさか、21世紀になってインターネットのようなものができ、全国、いや世界中に情報が流布されたり、見た人の感想がすぐさま共有化されたり、それらしくついた嘘が、いとも簡単に見破られたりするようになるとは夢にも思わなかったであろう。
そういう意味で一番困惑しているのは、嘘の情報を知らされていた我々より、むしろ、観光客の気を引こうと、よかれと思って「19才のお吉」写真を“ねつ造”して公開し、数十年後も本物だと言い続けた挙げ句、今さら引っ込みのつかなくなってしまった方かもしれない。
そして、この手の話は伊豆下田だけでなく、全国津々浦々に似たような事例があると想像できる。
※注
その後、1983年6月発刊に日本放送出版協会(NHKブックス)から発刊された水江漣子=著「近世史のなかの女たち」にも、すでに「十九歳のときのお吉」が掲載されていることが判明。少なくとも、この写真は30年以上前から流布されていることがわかった。
さて、もはや「19歳のお吉」写真がまったくの偽物であることは明確であるが、さらにそれを裏付ける資料について補足しておく。
下田市内では、この写真が自分の親類で、昭和に撮影された写真だと言う人もあるようだが、それは単なる勘違いか、その人の親類が、たまたまこの写真の少女に似ていただけだろう。そのことも、次の事実を通してわかる。
2013年春現在、NHK大河ドラマ「八重の桜」が人気で、その人気にあやかるように幕末明治の女性の写真が歴史関連の雑誌に多数掲載されていた。
たまたま手に取った「歴史REAL女たちの幕末・明治」という雑誌を開くと、そこには見覚えのある少女の顔があった。
歴史REAL女たちの幕末・明治 掲載「19歳のお吉」の別カットである。
その雑誌ではお吉として紹介されているわけではなく、あくまで明治の美人写真としての紹介。出所は間違いなく「横浜写真」であろう。
ほかにも何人かの女性の写真が掲載されていたが、この少女には他にはない特長がある。髪型だ。
幕末の女性は当然、日本髪を結っているが、この少女の日本髪は珍しい真ん中分けで、少し前髪を垂らしている。このモダンな日本髪は、明治に入ってからの新しいスタイルらしい。
前髪を垂らした真ん中分けの日本髪 この写真には撮影者が明記されていた。前述したベアトの弟子、オーストリア人写真家シュティルフリートである。
また後日見つけた「歴史探偵 2013年 4/25号 」という雑誌の特集記事「古写真に見る美人百花100年前の恋人に出会う」には、「歴史REAL女たちの幕末・明治」に掲載されていた真ん中分けの少女のさらに別カットがファサリ商会からの出典として掲載されていた。
着物から髪型、小道具まで同じなので、まず間違いはない。着物の色が異なっているのは、別の職人による彩色のせいだろう。
歴史探偵 2013年 4/25号 掲載ファサリ商会の記録によれば、この写真は1880年代の作品とされている。
「士官の娘」を撮影したのがシュティルフリートで、かつ1880年代であるなら、撮影時期は1880年からシュティルフリートがファルサーリに写真館を売り渡す明治18(1885)年までの5年の間ということになる。
ここまで説明すると、もう今さらの情報ではあるが、もし撮影されたのが1880年ならお吉は39歳、1885年なら44歳になるので、とても少女とは言い難い。シュティルフリートがお吉を撮った写真だという可能性も、まずないだろう。
さらにファサリ商会の記録には、この眠る少女には「Japon-1886-08」という記録が記されているようだが、真夏の8月に火鉢が写っているのは何とも不自然。少女の厚着を見てもこの日付は「撮影日」ではなく単なる「発売日」ではないかと考えられる。
撮影者の記録なら、撮影日を残すのが自然だろう。やはり撮影者はベアトの弟子、オーストリア人写真家シュティルフリートだった可能性はきわめて高い。
そして、今なお大人気のモデルの素性は…まったくもって、わからない。
今年(2013)のお吉まつりのポスター四半世紀近く前、すでに偽物であることが地元の郷土史家によって指摘されていながら、今なお巷に広がる「19歳のお吉」写真。今年(2013)の「お吉まつり」のポスターもやはり、この写真を元に左右反転したイラストが市内を中心に張り巡らされていた。
菩提寺だといわれている宝福寺が、あいかわらず「19歳のお吉」写真を掲げ続けていることが、その大きな要因であることは否めない。wikipediaで「斎藤きち」を検索しても、肖像には、この「19歳のお吉」写真が「下田宝福寺お吉記念館蔵」というキャプション付きで掲載されている。
結果、下田を訪れた観光客の多くは、この写真を本物のお吉さんだと信じ込んで旅行記のブログを書き、「唐人お吉」を画像検索すれば「19歳のお吉」写真画像があふれ出るという結果に至っている。
このレポートの内容自体を信用するかどうかも読んでいただいた方の考え方次第…というわけだが、本研究会では、特定の個人や団体、組織などを誹謗中傷するつもりは毛頭無い。ただ、下田という土地と、そこに住む人と、かつてそこに住んでいたお吉さんをはじめとする人たちを敬愛するが故、まやかしを良しとせず、客観的事実のレポートに努めている。
フィクションはフィクションでいいし、ファンタジー的な展開に夢躍らせる気持ちはわかるが、偽り事をあたかも事実と錯覚させて同情をあおるのはいかがなものだろうか。
※このレポートはdigitake.com記載「つくられる歴史〜お吉にされた少女」をベースに書き直したものです。
■参考資料
「肥田 実 著作集 幕末開港の町 下田」肥田 実=著/下田開国博物館=刊
「幕末・明治のおもしろ写真」石黒敬章=著/平凡社コロナブックス=刊(1996年初版)
「彩色アルバム 明治の日本〈横浜写真〉の世界」横浜開港資料館=編/有隣堂=刊(1990年)
「歴史REAL女たちの幕末・明治」洋泉社MOOK=刊(2013年4月)
「歴史探偵 2013年 4/25号 」竹書房=刊
「伊豆下田 宝福寺 ホームページ」
「ウィキペディア wikipedia」
「近世史のなかの女たち」水江漣子=著/日本放送出版協会(NHKブックス)=刊(1983年6月)
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